大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

一憩のバンド遍歴〈前編〉

なぜかここで自分のバンド遍歴を書きたくなったので書く。前へ進むための過去清算だ。

俺にとって初めてのバンドは高校3年の時、文化祭に合わせて幼なじみの超絶早弾きギタリストK氏らと組んだ「芸人の美学」であった。バンド名を考えたのは俺で、ディープパープルやイングヴェイなどのメタルを主に演奏していたが、たまにニルヴァーナなども演って、これは俺の要望によるものであった。このバンドはあくまでも文化祭に合わせてのバンドだったので文化祭が終わると同時に解散した。次に組んだのが文化祭のすぐ後に伊丹で行われたバンドフェスティバルに合わせて組んだ「シャビーシェルター」であった。これは文化祭の時に俺の度肝を抜いたヴォーカルの女の子がいて(全校生徒が息を飲んで私語を止めたのを俺は見た)、その女の子からの誘いに乗る形でギター兼ヴォーカルとして参加した。元々はニルヴァーナやホールのカヴァーをやるつもりで始動したが、「せっかくフェスティバルに出るんだから」と、俺が人生初のオリジナル曲を持ち込むなどして、それなりに良い経験になった。フェスティバルでは「観客賞」を受賞したが、俺は最後までこのバンドのバンド名が気に入らなかった。で、このバンドもフェスティバルが終わると即解散。その後、俺は高校を卒業し、高校の真横にあるタンスの部品を製造する会社に就職したが、3ヶ月後の午後、「昼メシ食いに行ってきます」と言って出ていったきり帰らず脱走。数日後、高校時代の友人に誘われるまま富田林へ。大阪芸大に潜り込んで、勝手に授業を受けたり、現地で知り合ったロック馬鹿たちと朝晩を問わず酒を飲み、音楽を聴き、踊って過ごした。そして、19才の終わり頃、芸大生たちへの「お前ら口ばっかりで何にも作らねえじゃねえか!」という幻滅の気持ちと、本格的にバンド活動を開始しよう!との決意から伊丹に戻り、メンバー募集を開始。ほどなくして、某雑誌のメン募で知り合った神戸のバンド「カレーハウス25番地(仮)」に、ギター兼ヴォーカルとして加入した。このバンド、音的にはグランジ〜パワーポップみたいな感じで、英語詞で歌っていて、俺と同じくギターとヴォーカルを担当するリーダーの男は名前を「ピラフ一番(仮)」といった。俺としては「一番(仮)と一憩、ひょっとして運命的出逢い!?」と思う部分もあり、かなり情熱的にこのバンドのメンバーとしてやっていくつもりでいたが、いざやってみると「お前の曲はマイナーコードが多すぎるからマイナーコードを減らせ」だの「お前のギターはカッティングを多用し過ぎてるからカッティングを控えろ」だのわけのわからない注目を付けられた上に、気付けばドラマーに転身させられていて、俺が「俺はドラマーじゃない!」と至極まっとうな主張をするとベーシストが子供のように拗ねたので、「アホか!」となり、計4回ほどライヴをやって俺は人生初の「脱退」を経験したのであった。まあ、俺としても英語で歌うことに疑問を抱き始めていたので、何の未練も無い初めての脱退であった。



〜後編に続く〜

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コメント(1)

元25mの一石です。
一憩君、元気にやってるようで。

ただ、このエントリは元気良すぎるんとちがう?
アホか!と書くなら、少なくともバンド名ふせるのがエチケットちがう?
それと俺のフルネームもね。

俺やって君の歌でドラム叩いたがな・・・。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

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