過去に俺や剣吾くんと関わったドラマーは、俺と俺の書いてくる曲の感情を汲み取って、それを音として表現することには長けているが、テクニック的にやや不安定だったり、もしくはその逆パターンだったりしたが、ツージーはその両方、感情とテクニック、という要素において非常にバランスの取れた素晴らしいドラマーであった。その上、通常、サポートメンバーというものはサポートメンバーとしての働きしかしない。要するにあまり「頑張らない」のであるが、ツージーは本当に頑張り屋さんであったので、サポートメンバーとは言え、あっという間にリプライズには欠かせない存在となった。酒が好き。酒と同じくらい下ネタが好き。たまに下ネタが過ぎるたびアビィに「死ね!」と一喝される。が、誰もが認める頑張り屋さん。キャラ的にも文句の付けようがなかった。
俺と剣吾くんとアビィはある取り決めをしていた。ツージーに「正式にメンバーになってもらわれへんやろか?」的発言をするのは、そのタイミングが自然に訪れた時で、お互い、フライングは厳禁な!ということであった。が、ある夜、三宮の高架下の居酒屋で飲んでいる時、俺が豪快にフライング(この瞬間の剣吾くんとアビィの表情を俺は忘れない)、「正式にメンバーになってもらわれへんやろか?」と発言。この時、結果的にツージーが快く受諾してくれたから良かったようなものの、もし断られてたらと思うとゾッとする。剣吾くんとアビィに合わせる顔がない。でも俺に言わせれば、後先のことを考えての告白は告白とは言わないし、奇跡を起こす告白というものは大概後先を考えないものである。
第三期リプライズは試行錯誤につぐ試行錯誤であった。音からステージングにいたるまで試行錯誤を繰り返した。実際、結構良いライヴをやってたと思う。が、何をやっても評価には至らなかった。が、ただただライヴを重ねた。もうそうするより他なかったし、メンバーを変えてどうこうという問題でもなかった。
活動量に対して評価が伴わないとバンドというのは疲弊していく。そんな中、アビィが抜けた。何をするにも俺と剣吾くん主導というのは本当に辛かったと思うし、俺と剣吾くんが相変わらず「アルファベッツ」という過去の存在、評価と戦っている様は、当人としても隠そうとして隠せるものではなかったし、側にいれば肌身に感じて、強烈に疎外感を味わうもんだったと思う。
俺、剣吾くん、ツージーのラインナップから成る第四期リプライズは、そんなこんなを経ながらも結構な数のライヴをこなした。が、やはり評価はついて来なかった。そして、そのことを俺はもう自分の、自分たちのせいにする気はなかった。剣吾くんとツージーは俺よりずっと大人だった。ライヴハウスや他のバンドと本当に上手く関わってくれたし、俺はその上に乗っかってギターを弾き、歌っていた。
俺の中では長い時間をかけて積もり積もったライヴハウスやライヴハウスに足を運ぶ人たちへの不満、怒りが爆発寸前だった。で、ある日、天王寺にある某ライヴハウスに出演した際、自分が歌っている真ん前、足元で数人の女の子が俺が歌っているステージとは逆方向を向いて座り、デカイ声でしゃべっているのを見て「もう終わりだ」と思った(この時の経験が数日後「モナリザ」を生んだ)。その後も何本かライヴをこなしたが、俺の頭の中はもう「ライヴハウス糞っ喰らえ!客糞っ喰らえ!」というフレーズでいっぱいだった。「俺が思ってるほど人は音楽が好きじゃない。どいつもこいつも簡単に「音楽が好き」とかぬかすなボケ!」という怒りでいっぱいだった。
そしてある日の夜、考えに考え抜いた挙げ句「俺、辞めるわ」剣吾くんとツージーに電話で伝えた。解散ライヴはアルファベッツの時同様、素晴らしい出来だった。
そして今、俺、和田一憩32歳。「もし今、何でもできるとしたら何がしたい?」尋ねられたら、俺は迷わず答える。
バ・ン・ド!
一憩のバンド遍歴〈後編!?〉
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