最近買ったとある本に「恐怖心に打ち克つには、知識が必要不可欠だ」とあった。
確かに知識を得ると、得た分だけ目線の高さが少しだけ上がったような気がする。
もっともっと勉強しないと...。
でも、こと「創作」ということにおいては俺は相変わらず知識や理論は要らないと思っている。誰かがそういったことについて喋りだしたら俺は耳を塞ぐ。知りたくない。芸術と呼ばれるものに方程式的なものは要らないというのが俺の信念だ。生き方に方程式的なものを求める人は芸術にも求めりゃいいと思うけど、俺は「人が生きる」=芸術だと思ってて、人が生きるということに方程式なんてあってたまるかという考え方の持ち主なので、芸術は行き当たりバッタリ、「無」から何か面白いものが生まれたらいいなと思っている。
音楽も絵も文章も、上手くなりたくない。下手でいたい。上手くなったら終わりだとさえ思っている。
「人間の関節はそういう風には曲がらないよ」と言うのなら、写真を見とけ。想像が自由に羽ばたける場所に現実の尺度を持ち込んでくれるな。そもそも窮屈な人間という生き物が、窮屈なものを作って、窮屈な人に見せ聴かせして、一体どうしようと言うのか。
教えてくれ!
心理学界の偉人、ジークムント・フロイトは人間の心の根底、無意識下で蠢いていて表層意識、行動に最大の影響を及ぼすものは『性衝動』(リビドー)であると言った。一方、アルフレッド・アドラーという人は性衝動ではなく『権力への意思』であると言った。
詳しく書くと長くなるので詳しくは割愛するが、例えば一人の精神病者と対峙した場合、フロイトは患者に過去の出来事を喋らせて診断するが、アドラーは「将来、何がしたいですか?」と未来のことについて尋ねて、診断したらしい。
ちなみにユングはこの治療する側の人間の「態度」に着目して理論立てた。フロイトとアドラーの場合は、フロイトが「外向」的なものの見方(過去、その人に外的に何があったのか)を重視するのに対して、アドラーは「内向」的なものの見方(今、その人の心の中で何が起こっているのか)を重視する、ということに着目して理論立てて、今日、みんなが日常的によく口にする「内向・外向」という言葉を産み出したわけです。
ね、面白いでしょ?心理学。難しいようで難しくないようで難しいようで難しくない。だって心理学っていうのはいわば哲学に並ぶ「人間学」で、俺もあなたも人間なんだから、全くもって理解不能ってことは基本的にはあり得ないはずなんです。
で、今日、俺が考えたのはね、フロイトの『性衝動』、アドラーの『権力への意思』に対して、俺も何か閃かないかな、提唱できないかなってこと。人間の無意識下で蠢いていて、表層意識、行動に大きく影響を与えるもの。
俺は『所属欲』なんじゃないか?と思った。どこかに所属したい、誰かと関わっていたい、全体に対しての自分、自分に対しての全体、そこに絡み付く欲求。満足、不満足。
今はまだ、ここまでしか言えないし、自分の中でちっとも理論立てられてないけど、ちょっとずつでも理論立ってきたら、またそのことについて書きます。
ま、これに関しては興味のある方だけ読んでいただければ結構ですので、はい。
うちの母親が紙粘土で拵えた蛙。我が母親ながら上手い、本当によく出来てるなと思う。
そういえば、俺にギターの弾き方を教えてくれたのも母親だった。中学の時、俺がギターを弾いてると母親がやってきて「そんな撫でるように弾いてたんじゃアカン。ギターはもっと強く、叩き付けるように弾かな。弦なんてなんぼ切ってもええんやから」と言ったのだ。この時の教えが、そのまま現在の俺のギタースタイルになっている。
街角やライヴハウスでアコギを弾きながら歌っている奴を見るたび思う。「こいつら、音楽よりもギターの方が大事なんじゃないのか?」って。そして、ギターを撫でるようにして弾く奴というのは大抵声も小さい。「聴かせる気あんのか?」とは思うが、とりあえず何を歌ってるのか、何を訴えようとしているのかだけは知りたいと思って耳を傾けると長渕剛の曲だったり、二人組みだとゆずの曲だったりして「帰れ!」と心の中で叫んでから、何故かちょっとだけヘコんで帰途に着くのです。
朝早く目を覚まし、起き上がってもあくびが止まらない。ベッドへ引き返し、夢の中へと舞い戻り、ひたすら夢路を漂う。どうか僕を起こさないで、いやだよ、揺り起こしたりしないでこのまま放っておいておくれ。
僕のことを怠け者だってみんな思っているみたいだね。気にしちゃいないよ。おかしいのはみんなのほうさ。とんでもないスピードであちこち駆け回り、挙げ句の果てにそんなことしなくてもよかったって思い知るだけなんだから。どうか僕の一日をだめにしないでおくれ。僕は心ここにあらずなんだから。とどのつまりは僕は眠ることしか能がないんだ。
窓の外に広がる世界で起こっていることから目をそらさないようにしながらも、僕はゆっくりしているんだ。とりあえずは寝っ転がって天井をじっと見つめ、眠気が襲ってくるのを待ち受ける。どうか僕の一日をだめにしないでおくれ。僕は心ここにあらずなんだから。とどのつまりは僕はただ眠っているだけなんだ。
窓の外に広がる世界で起こるできごとに注目しながらも僕はゆっくりしているんだ。
朝早く目を覚まし、起き上がってもあくびが止まらない。ベッドへと引き返し、夢の中へと舞い戻り、ひたすら夢路を漂う。
あいつはまったく地に足がついていない男。自分だけの架空の世界の中に逃げ込んで、ひとりよがりな夢想に耽っている。
自分の考えも持っていなければ何の目標も持っていない。あいつってちょっぴり君や僕に似ていないかい?
うわのそらの男よ、どうか耳を傾けておくれ。君は自分が何を失っているのかまるで気づいちゃいない。現実から逃げている男よ、この世界は君次第でどうにでもなるんだよ。
あいつはまったく何も見えちゃいない。自分の見たいものだけを見ようとしている。うわのそらの男よ、この僕の姿も見えないのかい?
現実から逃げている男よ、心配することはない。じっくり時間をかければいい。あせることはない。そのままでいたって誰かがきっと君に手を差し出してくれるよ。
自分の考えも持っていなければ何の目標も持っていない。あいつってちょっぴり君や僕に似ていないかい?
うわのそらの男よ、どうか耳を傾けておくれ。君は自分が何を失っているのかまるで気づいちゃいない。現実から逃げている男よ、この世界は君次第でどうにでもなるんだよ。
あいつはまったく地に足がついていない男。自分だけの架空の世界の中に逃げ込んで、ひとりよがりな夢想に耽っている。誰のためにもならない、ひとりよがりな物思いに耽っている。
自分勝手な実現しそうもない計画を練っている。
体育会系。男勝り。日頃の口癖は「男みたいなもんは」
友人が男に泣かされたと聞くやいなやその男のところへ怒鳴り込みに行くというのは日常茶飯事。姉御肌で、気質的にじゃりん子チエを彷彿とさせることから「チエ」と呼ばれている。
そんなチエちゃんがある日、とある男子から呼び出された(チエちゃん的には「呼び出しを食らった」)。なんだかよくわからないが売られた喧嘩は買わねばと思ったので、指定された時間よりだいぶ早めに指定された場所、公園へ行き、「さあ、どっからでもかかってこい」と身構えていると、その男子がやってきてチエちゃんに世に聞く「告白」ということをした。
あまりに突然。あまりに単刀直入なもの言いだったので、チエちゃんは不意討ちを食らったように唖然とした。頭の中で小さなチエちゃんが「えらいこっちゃあ〜」と叫びながら走り回っている。
言葉が出ない。何も言えない。と、そこへその男子が焦ったように「と、とりあえず一回、デ、デ、デ、デートしよ」と言った。「デート」という言葉を理解するのに46秒くらいかかった。そして、気が付いたら「べ、別にええよ」と答えてしまっていた。
「べ、別にええよ」と答えてしまった直後のチエちゃんの顔。
もし俺が音楽も、絵も、文章もやらなくなったとしたら、それはたぶん俺が完全に女性不信になった時だと思う。
俺のクレパス画には例外なく「違うよな?」って書いてある。
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