大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

ここで再び読者の皆さんからの俺、和田一憩へのインタビューなり相談なりを募ります。前回同様、匿名大いに結構。シリアス、不シリアス、リアル、シュール、問いかけの種類は一切問わないので、ゴミの日にゴミ収集場所にゴミを持っていく時のようなメンタルで気軽に俺に問うてください。必ず答えさせていただきます。

俺の人生には起こり得ないこと、想像もしない角度からの問いに脳ミソをプルンプルンいわせながら考えてみたいのです。答え切ってみたいのです。よろしくお願いします。

これはこれでコンプレックス。

俺はすぐに人を許してしまう。っていうか、そもそも人に対してあまりムカっとこない。ムカっときて人に注文をつけたくなるほど自分のことを大した人間だとは思ってないし、ムカっときたことを声に出して訴えたいと思うほど自分にとって大事なこと、譲れないことというのが俺にはあまりない。逆に言えば俺ほど人に対する愛情なり執着心なりに乏しい人間はいないのかもしれない。基本的に人のことはどうでもよくて、そもそも期待していないからゆえに、人に対して注文をつける気が起こらないのかもしれない。いや、たぶんそうだ。

ただ、何事にも例外というものはあって、よくよく考えてみれば俺にも許せない人種が二通りいることに今、気付いた。

「許せない人」と「謝らない人」である。前者はいつまで経っても人を許せない人のことで、相手はものすごく反省していて謝っているのにも関わらずそれを許そうとしない人。これが俺は許せない。後者は読んで字のごとく「ごめん」とか「悪かった」が言えない人のことで、ほとぼりがさめて相手が笑顔で近寄ってくるのを待つタイプの人。これも俺は許せない。

以前にも同じようなことを書いたが、俺はプライドの持ち方を間違えている人間が本当に苦手だ。そりゃプライドが全くないというのも困る。でもプライドの塊みたいな人間はもっと困る。

自己評価というものは低過ぎず、高過ぎず、人と関わってなんぼの人生だということを踏まえて考えれば、若干低めくらいがちょうど良いような気がする。

麻生太郎、笑顔だけは魅力的。

押尾学と酒井法子が捕まった。ちょっと前には田代まさしが捕まったりしていたが、芸能界のドラッグ汚染というのはかなり深刻なものらしい。

テレビを見ているとテリー伊藤が顎の下で手を組んで「甘いよね」とか言っていて、他のコメンテーターも口を揃えて「子供がおる分際で」みたいなことを言っている。俺は何かおかしいなぁ、何かムカつくなぁ、と思ってしまう。

もちろん、ドラッグに手を出した芸能人の肩を持つ気はない。ないけれど、若干、同情に似た気持ちを抱いてしまっている自分がいる。人が人に対してそんなに簡単に「甘い」とか「分際で」とか言い切っていいものなのだろうか。そうやって声高らかに自信満々に言い切れるくらい、例えばテリーは「俺は強い」と自負できていて、押尾学や酒井法子がドラッグに手を出すに至った孤独とか劣等感とか混沌とかをイメージできているのだろうか。

この考え方、大半の人は「ぬるっ!」とか「どうかしてるぜ、一憩!」とかって思うんだろうけども、俺はどうも解せない。

みんな、どいつもこいつもギリギリだろう。みんな、一歩間違えりゃ押尾学で酒井法子だろう。みんな、ギリギリにも関わらず狂うに狂えず、死ぬに死ねないんだから。なのにここぞとばかりに上目線か?

テリーが「甘いよね」と言い、世間も大多数の人間が同じようなことを言っている。「甘いよね」という言葉の裏側にある身の程知らずのくだらない優越感から漂う悪臭を思うと、俺は押尾学や酒井法子に若干、若干?同情してしまう。

弱い人間が弱い人間に対して「待ってました!」とばかりに抱く優越感って最低だ。

剣吾くんと一緒にサマーソニック09初日を観てきた。エレカシも再結成ユニコーンも再結成ヴァセリンズ(めちゃくちゃ良かった!)もソニックユース(キムゴードンがめちゃくちゃエロかった!)も観たいものはみんな観てきた。が、やはり最高だったのは、一番のお目当てティーンエイジファンクラブだった。

メンバーの表情がはっきり窺えるくらい前の方で、剣吾くんがわざわざ作ってきてくれたティーンエイジTシャツを着て観た。

メンバー全員おっさん、サポートメンバーもおっさん、アクション皆無、服装地味、MCほとんど無し(かといって決して無愛想ではない)。でも最高。ほどよくばらつき感のある演奏、絶妙なコーラス、ギターが実にギターらしい鳴りでジャンジャンジャカジャカジャンジャンジャカジャカ、鼻歌の延長線上かのようなティーンエイジ節とも言える珠玉のメロディの数々、名曲、名曲、名曲、そして客大合唱...あんなバンドは世界中でティーンエイジしかいない。あのやり方で客の腹を満たせるバンドはティーンエイジしかいない。

「ギターポップ」という言葉はティーンエイジファンクラブの為にある。

Mr.Children。略して「ミスチル」。って言うか桜井和寿という男についてあなたはいかなる評価をお持ちだろうか?

もし、彼の書いた曲で一番好きな曲は?と尋ねたら皆さん、一人残らずちゃんと答えられるんじゃないだろうか。必ず一曲は好きな曲があるだろうし、さらに、その一曲に対してのあなたの思い入れというのはかなりのものなんじゃないかと思う。実際、彼の才能というのは疑ってかかるようなレベルじゃない。かといって俺は別に彼のファンではない。ないが、批判する気もない。いや、唯一批判するとすれば彼の桑田佳祐好き。あれ、何とかならんのだろうか?彼の慢性化した病とも言える桑田佳祐からの影響。あれ、何とかならんのだろうか?俺は桑田佳祐が大嫌いだ!といった極めて個人的な事柄くらいのもので、正直、俺は彼がこの国の音楽水準をゴミ箱行きの一歩手前で食い止めてくれているとさえ思っている。この国のクソみたいな音楽界において彼はどう考えても必要不可欠だ。

ところで、俺は今までカバーというのをしたことがない。自作の曲だけを演ってきた。でも今はソロでの活動がメインだから、カバーもこれぞと思える曲がもしあればできる。で、俺が唯一、本気でカバーしてみようかなと思っている曲が実は彼が書いた『NOT FOUND』という曲なのである。

この曲を初めて聴いた時の感想は「わかる!」だった。「うわ!俺と同じこと考えてる」と思って驚いた。歌い出しから終わりまで全ての言葉がまるで自分が書いた詞かと錯覚してしまうくらい彼がこの曲の中で言わんとしていることが理解できたのである。例えばこの曲の中で歌われている「君」という言葉。曲冒頭で歌われている「君」以降の「君」は人間の女性ではないはずだ。

しかしながら、今、ミスチル=彼の曲をカバーするというのはものすごく勇気のいることだ。よほどの信念と自信がないと確実にすべる。でも、俺は誰も知らないマイナーな曲を知ったかぶってやるよりは、ものすごくメジャーな曲を自信をもってやることの方がずっとカッコ良いことだと思っている。例えば90年代中盤の英国においてビートルズをカバーしたオアシスはめちゃくちゃカッコ良い。何しろ当時は若手のバンドがビートルズ好きを公言すること自体勇気のいることだったんだから。そういうこと。

で、『NOT FOUND』に話を戻すが、そのうち気が向けばカバーしようと思っている。メロディ、コード感など曲自体大好きだし、言葉の意味が自分なりにわかりすぎるくらいわかるんだから感情を込めて歌えるはずで、俺が感情を込めて歌えば桜井が歌うよりもずっと痛々しく、余裕なく、ロックな感じに響くはずで、やる価値はあると思う。

ま、そのうちね。

地球で生きている以上は重力というものを無視できないわけです。一生付き合っていかねばならないわけです。重力はその対象を選ばず、無粋に我々の上にドーンとのし掛かってきて、例えば水の流れを見てもわかるように全てが上から下へ上から下へなわけです。そしてそれは物理的な話だけではなくして、我々の精神的な部分に関しても同じことが言えるわけで、我々の視点、人生なるものは、基本的には何もかもが上から下へ上から下へなわけです。ということは、人間は人間という生き物は抜本的にネガティブ思考な生き物と言えるのかもしれません。気が付けば頭は重力に任せて傾き、うつむき、地面を見つめてしまっていて、顎を上げて歩くというのはなかなか困難なことです。「上を向いて歩こう」という歌がありますが、実際には上を向いて歩くというのはかなり難易度の高い行為です。したがって最も理想的な形は、重力に打ち克とう打ち克とうとして顎を可能な限り上げよう上げようとはするが、いかんせん相手は自然の脅威、打ち克つということがままならず、でも諦めずに顎を上げよう上げようとする葛藤の中で気が付けば上でも下でもなく前を向いていたというのがベストかと思います。

つまり「落ち込む」というのはそういうことです。私もあなたもことあるごとに落ち込んで、たまに落ち込んでいること自体に落ち込んだりもしますが、これは基本的には全て重力の仕業で、私のせいでもなければあなたのせいでもありません。だから特別カッコ悪いことではありません。ただ、我々人間のそういったネガティブな発言、姿勢、生き方というものを「カッコ悪い」と言えるとすればそれが、その流れがあまりに自然、あまりに普通過ぎて、そこに「個」というかプライドみたいなものが見い出せないからです。「個」というのは、どこかイビツで不自然だからゆえに浮き、注目もされるわけで、あまりに社会の仕組みやそれこそ自然の脅威といったものの前に無力だったり無意思だったり素直だったりすると「個」というものを世の中に魅力的に轟かせることはできないわけです。

と言うわけで、私もあなたも前を向いて歩きましょう。先ほども申し上げたように我々人間が前を向いて歩くためには、上を向いて歩こう!くらいの気合いが必要です。それでやっと前を向ける感じです。重力に打ち克ってやる!というまことにもって無謀かつ不自然極まる意志こそが私やあなたの「個」を約束するのです。

お互いに頑張りましょう。不自然に頑張りましょう。

「ゾリッペン」と呼んでいる。

小学5年の時、靴下の爪先の部分が破れていて、その破れている部分をグッと指の下に潜らせて隠すことを「ストラングラー」と呼んでいる友人がいた。もちろん、「ストラングラー」なる英単語と、その行為との間に関連は一切ない。ただ、彼の中でその行為を音として表現した場合に「ストラングラー」以外の何物でもなかったのだろう。

彼のそんな感覚、俺には良くわかる。例えば俺は、明日絶対に早起きしなければならない用事があるのに、どういうわけだか目が冴えて眠れないといった最悪な状況を「ボンジョヴィ」と呼んでいる。おとといの夜、俺は完全にボンジョヴィだった。一晩中「アカン!完全にジョヴィってしもた」と嘆いていた。あと、巷で大流行のあのゴム製のカラーバリエーションに富んだ超軽量サンダルのことを俺は「ベッポンセン」と呼んでいる。あのサンダル、俺の目にはどう見てもベッポンセンだ。歩く度に「ベッポン、ベッポン」と情けない足音がしそうな気がしてならないし、脱ぐ時にストラングラー対応している靴下と擦れる時の音は間違いなく「セッ!」で、表記上は「セン」で問題ないだろう。

ちなみに俺は、俺みたいな残念な奴のことを「ホセ、ホホホホホ〜ホ、ホセ、セスセスセー、ホセ、ポ、ホセ、ホセホセ、セセセホセ、ホセスホセホセ、ピ、セーホセ、ホセセ、ホセフホセ、ホセホセースホ〜、ホ〜、ホ〜、ホ〜、ホセ、ポセ、ポンセ、ホセ〜スホセホセ、ホセパホセホセ、セ!セ!セ!ホセ...ホセ!?」と呼んでいる。

親父の許可を得て、親父の絵を一枚。

うちの親父は俺が産まれるずっと前から絵描きである。そしてうちの親父は基本的にうちのオカンしか描かない。要するに、うちの親父は自分の妻の絵しか描かないのである。

俺はそんな芸術家の息子である。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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