押尾学と酒井法子が捕まった。ちょっと前には田代まさしが捕まったりしていたが、芸能界のドラッグ汚染というのはかなり深刻なものらしい。
テレビを見ているとテリー伊藤が顎の下で手を組んで「甘いよね」とか言っていて、他のコメンテーターも口を揃えて「子供がおる分際で」みたいなことを言っている。俺は何かおかしいなぁ、何かムカつくなぁ、と思ってしまう。
もちろん、ドラッグに手を出した芸能人の肩を持つ気はない。ないけれど、若干、同情に似た気持ちを抱いてしまっている自分がいる。人が人に対してそんなに簡単に「甘い」とか「分際で」とか言い切っていいものなのだろうか。そうやって声高らかに自信満々に言い切れるくらい、例えばテリーは「俺は強い」と自負できていて、押尾学や酒井法子がドラッグに手を出すに至った孤独とか劣等感とか混沌とかをイメージできているのだろうか。
この考え方、大半の人は「ぬるっ!」とか「どうかしてるぜ、一憩!」とかって思うんだろうけども、俺はどうも解せない。
みんな、どいつもこいつもギリギリだろう。みんな、一歩間違えりゃ押尾学で酒井法子だろう。みんな、ギリギリにも関わらず狂うに狂えず、死ぬに死ねないんだから。なのにここぞとばかりに上目線か?
テリーが「甘いよね」と言い、世間も大多数の人間が同じようなことを言っている。「甘いよね」という言葉の裏側にある身の程知らずのくだらない優越感から漂う悪臭を思うと、俺は押尾学や酒井法子に若干、若干?同情してしまう。
弱い人間が弱い人間に対して「待ってました!」とばかりに抱く優越感って最低だ。
拭えぬ違和感
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