俺ほど打たれ弱い人間もいないと思う。
俺ほど自分以外の人間というものに恐怖心を抱いている人間もいないと思う。
だから、世の中で「礼儀」と呼ばれているもの。例えば上下関係とかそういったものに関して、俺は決して非礼な人間ではないと思う。目上の人や、自分が身を置く世界の先輩に対してはもちろんのこと、気の許せる友人や知り合い以外のいわゆる「他人」に対して俺は決して非礼な人間ではないと思う。非礼でいられるほど俺は剛胆でもなければ勇敢でもない。
俺は本当に、心底、人間というものが怖い。たぶんこれは、この病的な恐怖心は、自分でも信じられないほどの自己評価の低さからきてるんだろうと思う。自己評価がめちゃくちゃ低いということはすなわち、他人に対する評価がめちゃくちゃ高いということだ。だから俺のこの恐怖心というのは、一体いつから始まったんだか、昼夜を問わず、毎秒毎分毎時間、日々、俺の中に絶えず降り積もり積もっていく本来であれば尊く美しいはずの「尊敬の念」がおぞましく姿を変えたものだと言えるのかもしれない。
そう言えば俺は今までずっと人を見上げながら生きてきた。正直、「自分だけが劣っている」なんて思いながら生きてきた。無意識下で...じゃねえな、はっきりと意識的に。だから、あえて人を怒らせるようなマネはしないし、怒らせるくらいなら自分の考え方なり意思なりを一瞬にして黙殺してしまえるというとても残念な特技を身に付けてしまった。
名前は生き方を左右する。俺の名前は和田一憩。「憩」の字に相応しく、良く言えばのんびり、悪く言えばだらだら生きてきた。でも、音的なイメージ、感覚的には、俺の名前は本当は『和田畏敬』なんじゃないか?と思う時がたまにある。
毎日、恐怖心でいっぱいだ。
医者になんかわからない
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