各々に各々の価値基準がちゃんとあって、各々が各々に「これは好き。あれは嫌い」とちゃんと判断できて、口にできて、それが衝突し合う状況というのは、文化的には凄く健康的な形だと思う。
本当にこの国の文化、芸術水準は底の底まで来てると思う。終わってると思う。どいつもこいつも「わからない」とプリントされたレッテルをポケットに大量に忍ばせて、ポケットを大きく膨らませた状態で歩いている。不感症なクセにめちゃくちゃ勃起してるみたいなことになっている。
何故ちっともわかろうとしないんだろう。もし、わかろうとしたけどわからなかったんだったらそれはそれ。そういうこと。それで全然構わないと思う。そんなものは自分には無縁だとして、ただ「カッコいいな」とか「綺麗だな」とか「可愛いな」とか思えたものを素直に好きと言えればそれで十分だと思う。他人は他人、自分は自分というスタンスが基本にあって、その上で「自分はこれが好きだ」って素直に言えれば本当にそれで十分だと思う。正解だと思う。
例えば好きな人ができた時に、周りの人に「私、あの人のこと好きなんですけどどう思います?」なんて聞いて回るような馬鹿な真似はよっぽどの馬鹿じゃない限りしないだろう。自分の価値基準に素直に従って、「他人の太鼓判なんていらねえよ」ってなもんだろう。なのに何故それが文化的なことに関してはできないのか...理解に苦しむ。
作り手には価値基準がある。でも、受け手には価値基準がない。だから作り手の生み出したものの良し悪しが判断できない。でも俺は、極端な話、さっきから言ってるように、良し悪しなんてわからなくたっていいと思う。そんなものは世の中に腐るほどいる評論好きな奴らに任せておけばいいんであって、要は自分の好き嫌いを自分の言葉でちゃんと言えさえすればそれでいいと思う。でも、それも言えない、わからない人間がこれまた腐るほどいて、その結果どうなるか。
『アーティスト(もちろんバンドマンを含む)がわからない』ってことになる。
こうして毎年、毎日、毎分、毎秒、物凄い勢いでアーティストが死んでいってる。
殺されていってる。
静かな虐殺
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