根底にちゃんと優しさがあれば、その優しさの出し方を知らなかったり、出し方を間違えたりして人にとやかく言われたとしても全くもって気にする必要はないと思う。
優しさの「出し方」一つ取ってもそう。いちいち形式にこだわって、ことあるごとに中途半端な自己犠牲的動き方をして、自己満足ののちに自己完結してしまえるのが、俺が忌み嫌う「社会人」であり「大人」です。
うどん屋のレジの前で数人の大人が口論している。「ここは私が出します」「いやいや、ここは私が」「何をおっしゃる。今日、お誘いしたのは私なんですから私が出します。それが筋というものです」「いやいや、そんなことをしてもらってはこちらとしても申し訳が..」「そんなに気を使わないでください。お誘いしたのはあくまで私ですから」「いや、いや、そちらこそ気を使わないでください。是非とも私に出させてください」「じゃ、こうしましょう。ここは私が出しますから、今度、ごちそうしてください」「そ、そうですかあ..」
片っ端から死ねばいいのにと思う。
タクシードライバー
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