体に、頭に、長い時間をかけて蓄積してきた毒を、蓄積に要した時間より遥かに短い時間の中で洗い流さなきゃいけない。
もし自分自身を大いに奮い起たせることができるようになって、「次」を想うことができるようになったとしても、その後真っ先に触れなければいけないのがこれまでの人生で経験したことのない巨大な喪失だということは間違いないし、不可避なだけに、恐怖心と無駄な思考が頭を占拠して、今、何をどう考えて、何に何をどう備えておくべきなのかということがさっぱりわからない。
昔『思えば遠くへ来たもんだ』っていう歌があったけど、俺の場合は「来た」の前に「流れて」がいるな。何しろ今現在、ここに至るまでの道程の一体どこに自分の意思があったんだかまるで思い出せないんだから。
この立ち位置は一体何なんだろう...。
漂流記
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争いが戦うことでは無い。
闘いは、自分自身の精神の優れた感覚。
経験からの教訓。
感情は辛く悲しい事も、教訓。
解決する方法を、捜し覚悟するまた、チャレンジする時の為に。闘いだと思う。勝ち負けは判断出来ない。
自分自身が、捜し覚悟する。同じ悲しいや、辛さを大きくし恐怖に怯え無い、精神を備える。
自分自身が向き合う。
貴方の廻りには、応援し、支援者がいる。一人で闘い捜しては無い。私も思考を変えて欲しいだけです。
前を向いて下さい。後ろは過ぎたのです。教訓です。ただ、辛く悲しいだけでは悔しいだけです。自分のペースで闘いましょう。