社会的に「大人」と呼ばれる年齢になったからと言って、旧友たちと接する時に社会的なルールにのっとった「大人な」付き合い方なんて絶対にしたくない。そんなのは悲しい。本当に悲しいことだと思う。
知り合った時の無邪気な心の持ち様や関わり方を捨てて、「大人な」付き合い方に大きくシフトチェンジして、何だかものすごく水臭いことになっている人たちがいる。そのうち敬語で喋りだすんじゃねえか?みたいな勢いで水臭い関わり方をしている人たちがいる。知り合った時は絶対にそうじゃなかったはずなのに。
お互いがお互いの今よりずっと若かった頃の姿を知っている。お互いの目にお互いの今よりずっと若かった頃の姿が焼き付いている。お互いの目の奥にお互いが今よりずっと若かった頃の姿が生きている。そんな目を見ながら、今よりずっと若かった頃の自分自身を見つめ合いながら語り合う時に、仮面的なものは要らないだろう。仮面みたいなそもそも不自然なものに、さらに不自然な意味合いを添えて、お互いの眼前に晒し合うような真似をしてどうするんだと思う。
「親しき仲にも礼儀あり」というが、「礼儀」という言葉の意味を取り違えている自称「大人」のいかに多いことか。
「俺(私)とおる時は仮面外して、昔の自分に戻ったらええねんで」「ほなそうさせてもらうわ。アンタもそうしてや」「もちろんそうさせてもらうよ」「オッケー」という暗黙の会話が毎度、顔を合わせた瞬間、関わり合いの冒頭、1ページ目に来るような関わり方を旧友とは続けていきたい。ま、この関わり方を「大人な」関わり方を好む自称「大人」の方々は説教口調、冷ややかな目で馬鹿にするんだろうけど、そんなのは知ったこっちゃない。生きる世界が違う。だから自称「大人」の方々は俺や俺の旧友たちの知らない所で、大人らしい細やかな気遣いと広く浅いプライドを顔面に隙間なくカパッとはめて生きて、寿命が来たら大人しく勝手に死んでくれりゃいいと思う。
コチラとアチラ
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