ところであなたは、やりたい事とやらねばならん事のバランスが取れた生活をしてますか?
一般的に、このクソ社会においては、やらねばならん事に費やす時間がやりたい事に費やす時間を上回っておればおるほど「立派な人だ!」となり、社会的にイケてるんだから「長生きしてね♪」なんて、櫓の上で頭を撫でてもらえたりする。逆に、やりたい事に費やす時間がやらねばならん事に費やす時間を上回っておれば「ふざけた野郎だ!」となり、「死ねばいいのに♪」などと陰で囁かれたりすることになる。で、現に、バッタバタ人が死んでいってる。
要するにこの世の中を我が物顔に闊歩したければ、やりたい事をせず、或いはそもそも、始めから、やりたい事など胸に抱かず、やらねばならん事のみに時間、神経、金銭など全てを費やして、立派な社会人として君臨せねばならんわけである(あ、今出ましたね。自然に出ましたね。「せねばならん」というフレーズが)。でもここに一つの問題がある。というのも、そうやってやりたい事を一切せず、やらねばならん事ばかりやってきた人間の表情、顔というのは実に不自然で面白味に欠け、いざ世の中を我が物顔に闊歩できるようになった時にはもう、自らの顔を恥部としか思えなくなっており、自宅に引きこもることを余儀なくされ、長渕剛を大音量で聴きながら「世の中プーや。おならですわ。プーですわ」などと一人寂しく呟いて数ヵ月後、見るも無惨な遺体となって発見されてしまったりするのがオチなのである。
で、だから俺は何が言いたいのかというと、人間、社会的にイケてるのかどうかじゃなくて、人間としてイケてるのか、人間として魅力的なのかどうかってことが何より肝心なことなんじゃねえのか?ってことである。人間味溢れる魅力的な奴になろうと思えば、やらねばならん事と同じくらいやりたい事もせねばならんし、たまに何か失敗をやらかした場合にはそれを可能な限りその場の笑いに変えようとするくらいの努力はせねばならん。結局、「せねばならん」わけで、人間的に魅力的な奴になるというのは、社会的に立派な奴になるのと同じくらい、もしくはそれ以上に努力を要するものだと俺は思うのです。
「アリとキリギリス」という話がある。どいつもこいつも誤解してる。俺に言わせればアリがキリギリスよりも偉いなんてちゃんちゃらおかしい。そして、「キリギリスはアリよりも偉い!」なんて言う気も毛頭ない。どっちもどっち。要はバランスの問題だと思う。
アリとキリギリス
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