それにしても「弾き語り」。この貧乏臭い名称何とかならんのだろうか。何故「語り」なのだろうか。うたうたいは歌うのであって叫ぶのであって囁くのであって、断じて「語る」のではない。もし仮に、南こうせつが素人目にも高級そうな例のアコギを自慢気に撫でるように弾いている前で、瀬戸内寂聴がイヤらしい笑顔を浮かべつつ「私も平民」などと仏教について語っておればこれは、この気持ちの悪いコラボは、「弾き語り」だと思う。
あれ?いや、違うな。これは「パンク」です。この気持ちの悪いコラボの場合はラモーンズ以来とも言える純度100%のパンクであって、「弾き語り」の真逆を行くものです。
じゃあ「弾き語り」って一体何なんだ?例えば誰がそれをやってるんだ?と熟考した結果、頭に浮かんだのが長渕剛、その人である。彼こそが「弾き語り」そのものである。ソロ形態であろうがバンド形態であろうが、形態に関わらず、彼こそが「弾き語り」である。
まず彼は音楽がさほど好きではないに違いないので、生まれてこのかた音楽らしい音楽を聴いたことがないに違いない。したがって、メロディというものがわからない。「メロディ」はスイス在住の小さな女の子か何かの名前だと思っている。しかしながら彼はカリスマ。説教がしたい。で、気が付けば一撃Tシャツを着て、南こうせつよりも高そうなギターを「壊れろ!」などと叫んで無闇にかき鳴らしながら、たまに瓦などを叩き割りつつダラダラダラダラ説教をしている。そんな熱血漢、長渕剛。かれこそが「弾き語り」で、彼のやってるようなことが「弾き語り」である。
弾き語るくらいなら死んだ方がマシだ。
南寂聴剛
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