中学生の頃がピークだったような気がするが、変わっている人間や、変わっている人間の行動や言動に憧れた。自分も変わってる人間になりたい!変わっている人間だと思われたい!などと思っていた。
完全に若気の至り。さすがに今はそんなこと全く思わない。そんなことを思っておっては生きていけない。町田康の言い方でいうと「出世が覚束無い」ので、そりゃ無味無臭というのも嫌だが、ほどよく無難に、普通でいたいと思っている。
が、残念ながら俺は32にして変わっている人間らしい。ミスター手遅れ。要するに「残念に仕上がった」わけだ。
中にはこんな人間の存在を楽しんでくれる人間もいて、早い話が俺の友人たちは皆、そんな達観した神経の持ち主なのであるが、大概の人間にとっては俺みたいな人間は不可解の塊で、場合によっては不快ですらあるらしい。
ま、でも、そんな人たちの顔色や目線に臆しておっては、それこそ俺の出世は覚束無いわけで好きにやらせてもらおうと思っている。
小さな世界で少数の人々と決して短くはない時間を一緒に過ごさなくてはいけないという状況下で、色とりどりの逆風に吹かれて、へこたれそうになって、でもここで一発自らを奮い立たさねば他に選択肢はないしどうにもならないという時がある。俺は、俺に関してはそういった状況下で無理矢理にでも自らを奮い立たせることができるのは2度が限度だと思っている。2度目の奮起で駄目ならそもそもその世界に身を置いているということの意味的なものを考え直さねばならんタイミング的なものが来ていると俺は捉える。
今、とある世界で俺は2度目の奮起に突入している。これで駄目ならそれはもう駄目だ。抜本的に考え時だ。ただ、今一度奮起して、ここで一発、伊丹の最北端で育った人間の底力を見せてやろうと思っている。
誇り高き伊丹最北端の血。その辺に吐いて捨てるほどいる大阪人とか神戸人とかと一緒にしてもらっちゃあ困る。希少価値が違うんだ、ハングリースピリットが違うんだ馬鹿野郎!
伊丹魂背水の陣
トラックバック(0)
トラックバックURL: https://ikkei.me/mt/mt-tb.cgi/158

コメントする