たまに絵に描いたような「優等生」がいる。ルックスもイケてりゃ、社会的ルールにも精通していて、何をやらせても他人より器用に、涼しい顔をしてこなす、俗に言う「できる人」、俺の言う「地に足のつきまくっている人間」がたまにいる。
俺はそんな「優等生」が持っているものの全てを持っていない「絶望的に地に足のつかない人間」。ただ、そんな「優等生」が唯一、持っていないもののみを俺は持っている。
「優等生」は皆、俺みたいな人間をものすごく苦手とする。不可解過ぎて、どう接したら良いのかわからないといった感じの表情を浮かべて困惑して、一週間もすれば目を合わせようともしなくなる。
「優等生」が唯一持っていないもの―俺、思うに「表現」というのは、理論的なものから逸脱すればするほど、ルール的なものを無視すればするほど、面白いものができると思う。例えば、「言葉」なんてのはその一番良い例で、存在自体がルールの塊みたいな物だけに、壊せば壊すほど面白くなるし、壊して断片を並べて遊べば絵だって描けてしまう。そして、さらにこの絵に「語らせる」という離れ業をやってのけることが出来た場合には、もっともっと面白いことになって「作品」と呼べるものになる―この社会的に上手く生きていく上では全く何の役にも立たない感覚、能力においてのみ、俺は「優等生」よりも優れている。
彼ら「優等生」から見れば、俺みたいなもんは「なんでそんなんで生きていけるんやろう?」的疑問を抱かずにはおれない存在だと思う。でも、俺は「それはこっちの台詞だ」と思う。
昨日、友人と語らった。そしてその友人が身近なとある「優等生」に対してただ一言「(生きてて)なにが面白いんやろうと思う」と言った。笑ってしまった。
「土踏まずしかない人間」と、「土踏まずがない人間」とでは、「土踏まずしかない人間」という表現の方が圧倒的に面白い。
羨ましきは疑ってかかれ
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