口が裂けても公にはできない仕事からクタクタになって帰宅した木元麦乃助は驚くべき光景を目にした。鍵を開け、家に入るとそこに刑事ドラマでよく見る取調室のような世界が広がっていたのである。
豆電球一つのみ灯る薄暗い部屋の中央に鬼のような形相をした女刑事が頬杖をつき、ものすごい勢いで貧乏ゆすりをしていて、その女刑事の目線の先には汚物のごときオッサンが火に油を注ぎつつ汚物のごとき中華料理を誰からも注文を受けていないであろうにも関わらず無闇やたらに「一丁あがり!一丁あがり!」などと喚き散らしながら量産していた。
「修羅場..」とだけ呟やいて麦乃助は急ぎ外に出よう、脱出しようと試みたが、鬼のような形相をした女刑事が視線を中華のオッサンに向けたまま微動だにせず「待て!待てやコラァ!コラーゲン。私はずっとあなたのことを待っていたのよ。待ち焦がれていたのよ。いつまで待たせるのよあなた...歯形!」と叫んだので麦乃助は立ち止まらざるを得なかった。
数分後、女刑事の言葉に麦乃助はただただ「んぺ?」としか言えなかった。女刑事は麦乃助を立ち止まらせると自信満々にこう言ったのだ。「お前やろ。いや、お前や。お前に決まってる。あの向かいの家の貧乏丸出しの汚いオバハンの汚いパンティ盗んだのんお前やろ!」と。
尋問が始まり、麦乃助は「知らないものは知らない。わからないものはわからない。だいたいちょっと考えりゃわかるだろう。この馬鹿野郎が」というフレーズ、信念を軸に、自分が無実であることを可能な限り言葉多めに繰り返し繰り返し説明したが、すればするほど女刑事は顔面紅潮(+)。納得せず、引き下がらず、怒を通り越した哀といった具合で、たまに涙を流しながら「...例えばあのオッサン。あの中華のオッサンの辛さを思えばお前、ここは自白やろ。自白しかないやろ」と、麦乃助に自白することを懇願してきたのである。
麦乃助はあまりに馬鹿馬鹿しくて辛くて一瞬、心が折れそうになった。しかしながら彼は不幸中の幸いにも、全くの無名とは言え誇り高きバンドマンであった。自分の中で渦巻いている全ての不愉快や不可解や不本意をギュッと凝縮して、ただ一言「俺はロックが大好きだ」とだけ答えた。
〈続く〉
小説・木元麦乃助の憂鬱〈起〉
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