我慢すること、不本意な気持ちを背負うこと、我慢していながら、不本意な気持ちを背負っていながら、「余裕っすよ!」みたいな顔をする人のことを「大人」と呼ぶのなら俺は一生大人になんかなりたくない。
子供の時、俺は「じゆうちょう」が大好きだった。表紙を開くと真っ白。あれが大好きだった。
「大人」の自由―例えば居酒屋でここぞとばかりに馬鹿騒ぎしている大人たちの立ち位置。あれは「余白」であって、じゆうちょうの白じゃない。
余白な自由なんて、団地の中に取って付けたようにある陽のあたらない公園みたいなもんだ。
先生が「自由に、描きたいように描きなさい」と言うと、友人たちは困惑していた。俺はそんな友人たちがいつも疑問だった。みんな「〇〇を〇〇な感じに描きなさい」と言われたら文句一つ言わず描くのに、「自由に描け」と言われるとただただ困惑していた。子供心になんだか嫌な予感がした。
嫌な予感は的中した。気付けば正解か不正解しかない世界に放り込まれていた。
何が嫌いって習字の時間が大嫌いだった。自分の書いた字を、なんの躊躇も遠慮もなく「これが正解です」と赤い字で修正されるのが子供心に我慢ならなかった。
生きづらい。
歯軋り
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