何故か強烈に「ロック」なるものにうんざりし始めた。「音楽」は相変わらず大好きだし、絶対に辞めないし、「ロック」にうんざりしたからといって、いきなり演歌やジャズの道に走るなんてことは絶対にないんだけど、何故か急激に「ロック」に嫌気がさしてきた。
音楽としての「ロック」だけではなく、姿勢とか思想とか色んな意味合いでの「ロック」に対する嫌悪感で頭がいっぱいだ。
無理に肩で風切って歩くことに一体何の意味があるのか。無理矢理奮い立つことに一体何の意味があるのか。
元々「ロック」じゃない人間が「ロック」を信じると、やることなすこと全て無理矢理になってしまう。
形のない、見えないものを強く信じて、すがりつくようにして生きていると、そこから抜け出せなくなって、それ以外のものが見えなくなって(否定するようになって)、大きいと信じ込んでいる小さな世界でしか生きられなくなって、本当は無縁ではなかったかもしれない色んな可能性が他人のものにしか見えなくなってくる。
「見えたら終わり。気付いたら終わり」みたいなことになってくる。
学生の頃、とある新興宗教を信仰している友人がいた。彼は中学の体育祭の時、宗教上の理由から皆と一緒に太極拳ができなかった。そして高校に上がると彼は音楽に夢中になって、俺と一緒にバンドを組んでドラムを担当。驚異的なスピードで上達したが、文化祭の時、宗教上の理由から覆面を被ってステージに上がらなければならなかった。
後日、彼はその場に観客としていた同じ宗教をやっている奴に密告されたらしい。
「宗教なんてやめりゃいいのに」あの時、俺は、思っていた。
懐疑
トラックバック(0)
トラックバックURL: https://ikkei.me/mt/mt-tb.cgi/550
宗教、ロック信じるものがあるのは、悪くない。
その世界を知らない私が、どぅ話しても聞かないだろう。
ただその人を、大事に思うなら自分自身は、変わらない関係でいる。
和田さんは、間違いでは無い。
信じるコトに、疑問や嫌気がさす。
その世界を知る、人だから分かるはず。
宗教なら、大変だけど。自分の好きな生き方を、自分で決めれないのは、楽しく無い。それは幸せな自分の道では無いのなら、変えても良いはず。
自分で考え、決めるべきです。
勇気が必要です。不安です。怖いです。
だけど、新しい何かが始まります。
貴方は、決して一人では無いはずです。
世界は広いです。色々な考えを持った人がいます。
それを知るは、早い遅いも無い。
決断は自分でするコトだが。待ってる人が居る、変わって欲しい人がいて願ってるのだと知って下さい。