介護の世界に入って、真っ先に教わる言葉が『受容』である。『受容』とは、「自分と他人の違いを受け容れる」ということで、要するに「自分の価値観で他人を測らない」ということなのだが、結論から言うとこれを一時的にではなく継続してやっていけるのは聖人か天才か狂人であって、我々のような一般ピーポーにはまず無理、無理難題でなのである。一般ピーポーが下手に手を出すとロクなことにならない。というのも、一般ピーポーにとって『受容』はどうしてもストレスに直結していまうからで、一度ストレスに直結してしまうと、果ては頭の中で何かが爆発、『受容』の真逆とも言える有り様を露呈してしまうに決まっているからである。
継続できない真似ごとは止めた方が良い。
例えば、我々一般ピーポーには、アントニオ猪木の真似ごとさえ継続できない。数時間、下手をすれば数分で「顎がつった!」などと大騒ぎをして終了だ。
そういうこと。我々一般ピーポーに『受容』は向かない。続かない。アントニオ猪木の真似をするのと同じくらいの勢いで続かない。一見、続けていけてるように見えるベテラン介護士でさえ、飲み会ともなるとロクでもない酔い方をして、ぶっ壊れて、醜態を晒してるんだから。
崇高過ぎて無理でしょう
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受容の継続は、大変。
人それぞれ、生き方も考え方も違う。
上司や部下。親子。学校や会社など、団体の中でも、それぞれだ。
違うから、イジメや妬み、嫉妬が問題を起こします。
人間は間違いを、繰り返しその渦に、振り回されると壊れる。
関わらないのが楽だがいずれ、自分で解決出来るまで壁になりまた、ぶつかる。
少しずつ、受け入れるコトも大事。
人も環境も変わる。