高価な財布が解せない。財布が高価って何か物凄く本末転倒な気がする。意味がわからない。
傘じゃないだろうか。本来、所有するに高価たるべきは傘じゃないだろうか。
財布はそれが財布であるという時点で、高価安価を問わず、既に社会性なり現実性なりの塊みたいなもので、これに大枚をはたくというのは社会性の上にさらに社会性を、現実性の上にさらに現実性を積み上げているだけの見栄の上塗り的行為とも言えて何の面白味もない。一方、傘は我々の生活に欠かすことのできない必需品でありながら果てしなく軽視され、その場しのぎ的に使い捨てられ続けている、いわばこの国における『芸術』そのもののような品物であって、井上陽水の名曲「傘がない」や、仏国の名画「シェルブールの雨傘」等のタイトルを見てもわかるように、傘というものは古来、基本的に非常に詩的な品物で、これに金をかけるというのは、財布に金をかけるのとは比べ物にならないくらい夢のあることなんじゃないかと思うのである。
皆がもう少し傘というものに愛着を持って、より高価なものを求めるようになれば、ひょっとしたらそれが意外とこの国の芸術水準みたいなものの引き上げに繋がるのかもしれない。
財布と傘
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