俺、喋れと言われればちゃんと喋れる。でも「話し合ってみては?」などと言われても、話し合いの成立し得ない、話し合いが話し合いにならない人間が相手となると、何一つまともに言葉にならない。言葉に力が伝わらない。というのはなにも俺だけに限った話じゃないだろう。
たったひとつの問題。たったひとつの極めて巨大な問題、「恐怖心」がネックになって、物事がちっとも前に進まない。こいつにさえ打ち克てれば、全てを0に戻して、また一から、色んなことを自分で選んで、心から笑ったり喋ったりできる生活が手に入るはずなのに、この馬鹿デカイ恐怖心が邪魔をして、脚が笑って、どうにもこうにも踏み出せない。
心にプラスアルファ的な何かが要るのかなと思う。例えばバンジージャンプで飛び降りる瞬間に自分の背中をポンと押してくれる閃きのような思考のような「何か」が要るんだろうなと思う。
俺は決して労働というものが嫌なわけじゃない。思い返してみれば、いつも結構頑張ってきたし、不思議と楽しめてきた。だから、この恐怖心にさえ打ち克って、視界が開けたらすぐにでもどっかで働く。働きながら、働いたお金でやりたいこと、ここ数年間やりたくてもできなかったことをやって、一度はバラバラに砕け散った自信みたいなものを収集して歩く。そんな生活の中で飲む酒が悪い酒にならないことくらい、さすがに俺も33、考える前に知っている。
そこで浮上してきたのが「一人旅」なる発想。今まで考えたこともなかったが、最近、周りの心ある人たちに幾度となく薦められて、少しずつ考えるようになってきている。俺が探している「何か」はひょっとしたらこことは別のどこか、今まで行ったことのない場所に落ちているのかもしれない。
で、どこへ行けばいいんだろう。そういえば海を眺めながら、通報されてもおかしくないくらいの長い時間、砂浜にじっと座っていたい気もするし、何を言ってるんだかさっぱりわからない方便的なものを聞いて、その味わいをしみじみ感じてみたいような気もするし、田舎の人通りの少ない商店街らしき所を古いにも程がある看板などを眺めてぶらぶら歩きながら、歩き煙草を楽しんでみたい気もする。
実際に行動に移すかどうかは別としても、考える価値はあるような気がする。考えるだけでちょっとだけ楽しくなるし。
斜めからの発想
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