俺には元々、女性崇拝的な頭がある。だから、つい最近まで女の人と喋るのがめちゃくちゃ苦手だった。特に学生時代なんて、喋りたくても喋れない苦悩の塊だった。
そんな俺の女性崇拝的思想が本格的に程よく崩れ出したのは介護の世界に足を踏み入れてからのこと。周りの先輩が女の人ばっかりで、野郎は自分一人だけといった状況が続いて、でも仕事は仕事、喋らないわけにはいかず、喋っている内に、接している内に、良い意味で「女の人も人間やねんな」なんてことを思うようになって、女の人とそこそこ普通に喋れるようになって、女友達もちらほらできるようになった。作れるようになった。
が、そうこうする内に今度は自分の中の女性崇拝が完全に崩れ去るような流れがやって来て、キレイに崩れ去ったら、その直後に津波のような勢いで来たのがその反動、いわゆる「リバウンド」で、自分の中に「いやいやいや、違う違う違う!女の人は綺麗な生き物や!崇高な生き物や!少なくとも俺の人生においては本来そうやったはずや!」という考えがたくましく芽生えて、爆発して、気が付けば女の人の絵ばかり描くようになっていたのである。
女性崇拝。これは俺が、自分の嫁の絵しか描かない親父を見て育ったことに由来するのかもしれない。親父はよく「俺はあのひと(親父にとって嫁。俺にとって母親)を描いてるようであのひとを描いてるんじゃない。その向こう側の、もっと大きな存在としての女を描いてる」って言ってたが、今は俺、その言葉の意味がよくわかる。
俺はやっぱり、女の人は俺の夢や憧れの象徴でい続けて欲しいと思う。これは別に完璧でいて欲しいなんて言ってるんじゃない。いっぱい失敗して、照れ笑いを振り撒いて、男を魅了しながら、俺の創造力の源であり続けて欲しいなと思う。
女の人がいないと、女の人の魅力がないと、女の人の魅力に振り回されないと、男の一生なんて無味無臭無色のスッカスカなんだから。
クリスタル
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