内なる子供を癒し解放するプロセスとして、一番有効な手段は、支持的で安全な人に話を、自分の物語を聞いてもらい、そうやって話している自分の言葉を自分自身が聞くことなのだそうだ。そして、その場合には話を聞いてもらう相手をしっかり見極めねばならず、例えば人の話を聞く時に「審判的」な返しをする人を相手に選ぶというのは、かえって内なる子供を窒息させてしまうことになるらしい。
そういえば俺はだいぶ前、このブログ上、『呟き』というタイトルで「説教され飽きた」と書いたことがあるが、あの時、自分の中で「説教」という言葉に違和感があった。「説教じゃない。説教じゃなくて、自分の言葉を〇か×で断言される感じが嫌で..」と思っていたのだが、「審判的」まさにこれだと思う。俺はあの時「審判的な会話に飽きた」と書くべきだったと思う。
ちなみに、例えば内なる子供を解放していく中で、審判的な物言いをする人と離れて生きることを心理学的物言いでは「解毒」と呼ぶらしい。
心理学って本当に面白い。
あとがき〜追記
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私に間違いが有ったと思います。
すみませんでした。
前を向いて、進んで下さい。
私は相変わらず、応援してます。