ここに至った過程がどうであれ、今まであんなに欲しがっていた「自分の時間」が持てるようになったら、今度はその時間の使い方に困惑している自分がいる。
それは例えば、駄菓子屋の前に立っている子供。いつもなら数あるお菓子の中から1個か2個を厳選せざるを得ないくらいの微々たるお小遣いしか持たされていない彼が、今日に限ってどういう風の吹き回しか「今日は特別に」と親がいつもよりかなり多めにお小遣いを持たせてくれた場合に、突然選択肢が増えるという慣れない状況の中で、一体何を買えば良いのか、自分は一体何が欲しかったのかがわからなくなって、結局何も買わずに家に帰って親にお金を返してしまう...みたいな感じとでも言おうか。
昨日、その辺の事をよくよく考えてみようと思って、『立ち止まる』ということの重要性を説いた本を買ってきた。
現代人は習慣的に気が付けば急いだり焦ったり、とにかく「何かせねば」という強迫観念にかられてしまうが、自分自身のことや周囲の状況をしっかり理解しようとすれば「立ち止まる」ということが、立ち止まって何もしないということが、次にいずれかの方向に向かって歩き出す場合にいかに重要かということが書いてあって、中でも次の文章には「なるほどな」と静かに唸らされた。
「緩やかさと記憶、速さと忘却の間には、ひそかな関係がある。ごく平凡な状況を考えてみよう。ある男が道を歩いている。突然、彼は何かを思い出そうとするが、記憶が戻ってこない。彼は自然に歩く速度を緩める。逆に、いましがた経験したばかりの辛い出来事を忘れようとする者は、その出来事からすぐに遠ざかりたいかのように、いつの間にか歩調を速めている。緩やかになれば思い出すことが多くなり、急いでいれば忘れることが多くなる」
今こそ俺は、しっかり自分自身のことを見つめなおさなきゃいけないし、そのチャンスだし、今、しっかり自分自身のことを見つめなおしておかないと、この先、中途半端に前進した所でまた道を誤ってしまう。
立ち止まる。
出来る限り、何もしない。
待つ。
ただひたすらに、自分のこと、周囲のこと、これから先のことについて何かしら見えてくるまで、ただひたすらに待つ。
この本の中ではこの「立ち止まる」ということ。立ち止まって出来る限り何もせず、「待つ」ということを誰にでもできる決して難しくない『瞑想』だと表現されていて、目からウロコが落ちた。
Stopping
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