以前、このブログ上で「凡人なんていない」ということを書いた。人は一人残らず何らかの天才で、要は自分が何において天才なのかに気付けるかどうかだということを書いた。
気付けてる人、もしくは気付けてると信じて生きている人にとってそれは、「これだけは誰にも負けない」と思っているそれは、生きる上で絶対に欠かせない、大切な、唯一の「売り」と呼べるもので、いわば生命線だ。
生命線―これはまさにその人にとっての生きる理由で、「生きたい」とまで思わせてくれる宝物で、「親しき仲にも礼儀あり」ってことも含めて、周りの人間、中でも特に近しい人間は本当に大切に、かといって別に妙に慎重である必要はないけれど、最低限の暖かい敬意に基づいて接するべきだと思う。
だからもし、彼(彼女)の生命線自体の輝きと、彼(彼女)の生命線に対するプライドの持ち様に惚れたんなら、惚れたことに責任を持つべきだと思うし、ここで言う「責任」というのはなにも難しい話じゃなくて、敬意を払い続けることだったり、可愛らしく愛情を抱き続けることだったりすると思う。
そしてもし後に、その生命線の輝きが、生命線に対するプライドの持ち様が、たとえ一銭にもならなかったとしても「裏切られた」なんて言うのは筋違いだろうと思う。
「裏切られた」なんて思うのは「惚れた」じゃなくて、「惚れさせられた」っていう意識があるからだろうが、そんなことは知ったこっちゃない。
さかのぼって考えてみれば、その時、その季節、彼(彼女)の売りが売りとして売りらしく、その店のその時々の売りを置くべき一段高い場所に置いてあっただけの話で、あなたはただ偶然にその店の前を通りかかって、店先に一段高く売りとして置いてあったものに、素直に惹かれて飛びついたというだけの話なんだから。
松茸
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