毎日、「楽しいなあ〜、嬉しいなあ〜」なんて言って過ごしてる訳じゃないんだよ、俺。
ま、そんなこともわからないくらい想像力のない人は俺の周りには居ないと思うし、そう願いたい。
ある特別な感情を抱きながら、引き摺りながら生きていて、それが結構辛いとしても、その感情が「怒り」だとしたら、それは、その苦悩はたいしたことないと思う。「怒り」を抱けてるというのは、自分で自分を、自分で自分の考え方を「否」としていない証拠で、パワーに変えようと思えば変えられもするものだからだ。
本当に辛いのは心から誰かのことを「いとおしい」と思う気持ち。そしてさらにそこに罪悪感が絡んだ場合だ。これは本当に辛い。これは逆立ちしてもパワーには変えられないし、変わらない。ただ普通に生きているだけで「息継ぎ」という発想が出てくるくらいのものだ。
「怒り」なんてたいしたことない。俺を縮み上がらせるにはそれで十分足りるだろうけど、俺みたいな基本的に臆病な人間を縮み上がらせて一体どうしようと言うのか。
縮み上がってる人間に眉間にしわ寄せて「背筋伸ばせや!」みたいなことを言うのは無茶な話だ。冬、めちゃくちゃ寒い日のポコチンに「それでも男か!」って怒鳴ってるのと同じくらい間抜けな話だ。
冬のポコチン
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