社会的自立だけが「自立」だと思っている馬鹿がいる。例えば独り暮らしをしていない人、例えば定職に就いていない人に説教をして嘲笑うような人種がこれに当たる。でも、こういう馬鹿に限って、腹を割って話をしてみると人格的にはスカスカだったりする。自分の考え方を全く持っていなかったり、持っていないからゆえに他人の、不特定多数の考え方に安易に流されたり、不特定多数の影を背後にチラつかせながら人の考え方にいちいち余計な審判を下したり、人のちょっとした過ちをいつまで経っても許さなかったりする。
自立は自立でも、「人格的自立」ってのもあるだろう。社会的自立だけが「自立」だと思っている馬鹿は、自分が人格的にはいかに稚拙かということに実は薄々気付いてるんじゃないか?と思う。だから、そこんところを隠そうとして社会的自立の方を無闇に声高に前面に押し出してくるんだろうと思う。要するに「社会的である」ということに依存している。他人の依存を笑える立場か馬鹿野郎。
ところで以前、ある女性先輩介護士に施設屋上の喫煙所で教えられたのは「丁寧さにスピードは付いてくるけど、スピードに丁寧さは付いてこない」ということだったが、これはこの2つの「自立」に関しても同じことが言えると思う。
人格的自立に社会的自立は付いてくるけど、社会的自立に人格的自立は付いてこない。
だからこそ、人格的に自立できている人間は社会的自立を神のように崇めている馬鹿とは違って、人格的自立の重要性を無闇に声高に前面に押し出したりしないし、他人に説教したり、嘲笑ったり、許せなかったりということがないんだと思う。
社会的自立なんて金さえあれば何とでもなる。運よく宝くじで1等でも当たろうもんならそれで即解決する。でも、人格的に自立する為には金が幾らあっても何の役にもたたない。
世の中、社会的自立を重要視する人間の数が、人格的自立を重要視する人間の数を圧倒している。だから、今の世の中的には「金がすべてだ」と断言できる人間の方が「金がすべてじゃない」と言う人間よりもずっとまともだし、常識的だと思う。
社会的な圧力が、人格的な輝きを無視したり、圧し潰したりしている様は本当に見るに忍びないし、何とかしたいとは思うけど、残念ながら今の世の中、本当に金がすべてだし、かくいう俺自身が社会的屍にして人格的峠にあるもんで、どうにもならない。
無力...あまりに無力。
無力...あまりに無力
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